母子 4 人 放火 殺人 事件。 愛知豊明母子4人殺人放火事件!犯人は誰?|世界の歴史

愛知・母子4人殺害放火事件

母子 4 人 放火 殺人 事件

愛知・母子4人殺害放火事件 1 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net 】【事件概要】2004年9月9日午前4時25分、愛知県豊明市の加藤博人さん 当時45歳 宅で火災が発生した。 まもなく鎮火したが、残業中だった加藤さんを除く一家4人が遺体で発見された。 調べによると、家に侵入した何者かが一家を惨殺し、火をつけたものとみられる。 net 中国マフィアなんて、そんな簡単に殺人依頼できるもんなのかねえ カネの動きを追えとよく言うけど、追えるカネもなさげな夫だしさ でも福岡一家4人殺害事件が起きたのが2003年、この事件の前年かあ 手口の残忍さには類似点があるような気もするけれども 584 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net この日だけ なぜか徹夜で仕事 587 : 名無しさん@お腹いっぱい。 49 ID:???. net 奥さんが浮気相手の部屋を尋ねてたのこの前の仰天ニュースで初めて知った 子供三人も居て浮気やら愛人やら… 奥さん泣かせて妻子はこんな最期 この旦那は一生かけて償っていくみたいな言い方してたし一応罪悪感はあるんだな 592 : 名無しさん@お腹いっぱい。 40 ID:???. net 愛人用の部屋まで借りてたんだろ この旦那は、地獄に落ちてほしいな 594 : 名無しさん@お腹いっぱい。 記憶違いか? 父親は叩けば埃だらけの人間だったけどこの事件がなければ別件逮捕されてなかったからね。 でも自分の記憶違いかもしれん 603 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net ピンとこないわ 604 : 名無しさん@お腹いっぱい。 45 ID:???. net オヤジが言ってることが本当かどうか当事者が死んでるからわからないのでは? 609 : 名無しさん@お腹いっぱい。 78 ID:???. net 有り得る 612 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net 夫婦関係がここまではたんしてたとは それなのに長男のお誕生日は気にかけてたんだね。 net 父親の書いた手記を読んで 父親は関与してないだろうと思った。 しかし3人の子の出産に立ち会ってるのに 不倫できるんだなぁと残念に思った。 奥さんと上手くいかなかったとしても 子供は殺せないと思うな。 net 仰天ニュースの再現Vの利代さんのお母さんとお姉さんの役者さんがよく似てると思った。 亡くなったお子さんたちみんな美形だし利代さんも 綺麗だし父親もイケメンだったのかなと思ってしまった。 すみません不謹慎ですが。 net 傾向として財力がある人物に美人が集まるのはある 620 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net 仮に夫が犯人なら用意周到に犯罪を計画実行するやつにしてはメールや残業の話があまりにバカすぎるし娘を含め 女ばかりが残虐な方法で殺されてるのも疑問だし、そもそもまともな精神の男ならこんな残酷なこととても耐えられない そういうこととは一切無縁なサイコだとしてもなら愛人に入れ込むことが有り得んし、何が何でも夫を犯人に仕立て上げ ようとしている連中がいることだけは確かだな 622 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net 関係ない子供を狙うなんてと言ってる人にもなんの関係もないよね? 624 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net 火災と殺人で保険どれぐらい入るの? 625 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net 近所に住む兄が、なぜ朝の4時に火災が発生したことに気づいたのか。 何件か家が離れてたら普通、気づかないよ。 この事件、兄で間違いないな。 626 : 名無しさん@お腹いっぱい。 net しかし…長いねこのスレ もう少しで13年ものだよ… 627 : 名無しさん@お腹いっぱい。 19 ID:U8D0mhHA. 630 : 名無しさん@お腹いっぱい。

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愛知・母子4人殺害放火事件

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3月31日放送の日テレ系【ザ! 世界仰天ニュース】に 2004年に起こった未解決事件・ 愛知母子殺人放火事件 が取り上げられます。 その事件の一部始終が気になり、調べてみました。 スポンサードリンク どんな事件でいつ、どこで起こったのか?? 愛知母子殺人放火事件の基本情報は以下になります。 発生日時 : 2004年9月9日午前4時頃 発生場所 : 愛知県豊明市沓掛町(くつかけちょう) もう少し引いて見てみると… 名古屋の南東に位置する住宅街の一角で 事件は起きました。 スポンサードリンク 被害者家族と事件の内容とは?? 被害者は 加藤さん一家で、家族は 5人家族でした。 夫の 博人さん(当時45歳)、妻の 利代さん (当時38歳)、長男・ 佑基くん(当時15歳)、 長女・ 里奈ちゃん(当時13歳)、 次男・ 正悟くん (当時9歳)が住んでおり、当日は仕事が立て込んで いた博人さんは会社で同僚たちと徹夜で作業をして いました。 自宅近くに住んでいるお兄さんから自宅の火災の 知らせが午前4時過ぎにあり、急いで帰宅したところ 家族4人が無残な姿で見つかったのでした… 因みに前日8日の23時頃に、博人さんは自宅に電話 しており、犯行はそれ以降の23時過ぎ~4時までの 間の犯行です。 灯油を普段使われていない加藤家で、灯油をまかれて 放火されておりましたが、火をつける前に家族は 殺害されており、 男女で殺害方法が異なっていた そうです… 妻の利代さんと長女の里奈ちゃんは刺殺で、利代さんは 背中を中心に顔や頬など十数カ所、里奈ちゃんはろっ骨が 折れるほど上半身を何度も刺されていました。 いずれも執拗に刺されたことによる出血性及び外傷性 ショック死とみられています。 長男の佑基くんと 次男 の正悟くんの 男性には刺し傷は なく、 鈍器で撲殺された形跡がありました。 バールのようなので一撃され、いずれも頭部の損傷が 確認されており、急性クモ膜下出血や脳挫傷が死因です。 因みに全員争った形跡がなく、寝ている時に殺された 可能性が高いそうです… スポンサードリンク 当時の前後の状況 当時の犯行当日は、 次男・正悟くんの9回目の 誕生日でした。 楽しく過ごすはずの日が、悲惨な事件の日と なってしましました… しかし、実は事件が起こった1年前に玄関を 何者かが開けようとドアをガチャガチャする ことがあったり、 事件の起こる少し前に 不審者が家をのぞき込むようなことがあったと 利代さんが周りに漏らしていたそうで、 施錠は 徹底していたそうです… また普段から帰宅が遅い博人さんは、勝手口の 近くに鍵を隠しており、それを使って勝手口 から出入りするそうですが、犯行当日はその 鍵は残っていたそうです。 また番犬として飼っていた柴犬は、普段は 吠えますが当日は吠えず、首輪を外され 車の下で震えていたそうです。 ということは、犬と面識があった者の 犯行の可能性もあるかもしれませんね… スポンサードリンク なぜ未解決なのか?? 犯行動機や犯行の際の侵入経路、そして犯行 動機など、不明点が多いので、16年目を 迎える現在も、未解決事件になっております。 金品には手を付けていなかったみたい ですし、 物的証拠が殆ど無いそうです。 もしかしたら、 犯行後外へ出る前に全て着替えて 現場を離れたりと、用意周到に行っていたの かもしれません… 色々と謎が多い事件ですね。。。 一刻も早い犯人逮捕を切に願います。 スポンサードリンク まとめ 未解決事件の愛知母子殺人・放火事件について 紹介しました。 いまだに犯行の手掛かりすら掴めていないので、 何かあれば下記まで連絡をしていきましょう! 愛知県警察署特別捜査本部:0561-39-0110 最後までご覧頂き、ありがとうございました!.

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気になる事件・名古屋豊明母子殺人事件

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奈良・母子3人放火殺人事件 奈良・母子3人放火殺人事件 【事件概要】 2006年6月20日早朝、奈良県田原本町の医師宅から出火、一家3人の遺体が発見された。 この家には高校生の長男がいたが、行方がわからなくなっていた。 22日、京都市内でAは発見され、放火を認めた。 A 【一家3人の死】 2006年6月20日午前5時頃、奈良県田原本町の医師Yさん(当時47歳)方から出火。 6時頃に鎮火したものの家屋は全焼し、高齢者保健施設施設長の医師であるYさんの妻(38歳)、小2の次男(7つ)、保育園児の長女(5つ)が死亡した。 死因は一酸化炭素中毒だった。 Yさんは三重県伊賀市の病院に当直勤務中で、駆けつけた時には我が家の変わり果てた姿に呆然と立ち尽くした。 遺体が発見された後、この家の長男A(当時16歳)の姿が見えなくなっていることが判明した。 火災の報道を見て、彼の友人が携帯電話に「大丈夫?」とメールを出しても返信はなかった。 Aは前日剣道の部活の後、近鉄高の原駅で友人を別れ、午後9時前まで大和郡山市内の英会話教室で受講。 その後、通学に使う自転車が自宅に置かれていたことなどから、帰宅したものと見られた。 また玄関は鍵がかかっており、勝手口も施錠されていた。 22日午前8時過ぎ、京都市左京区の路上で、自転車に乗っていたAが、京都府警下鴨署員に職務質問され保護された。 Aは放火を認め、逮捕された。 【少年の孤独】 89年、泌尿器科の病院勤務医の父と、大阪の開業医の娘だった母親が見合い結婚。 翌年、Aが誕生した。 Aが3歳の時には妹も生まれている。 一家4人は奈良市内のマンションで暮らしていたが、父親は妻にたびたび暴力をふるう一方、息子には1歳から幼児教室に通わせるなど、かなりの期待をかけた。 幼稚園に入ると、学習塾、スイミング、サッカーなどの教室に通わされ、夜には父から足し算・引き算・ひらがななどの勉強をさせられた。 父親は私立の医科大卒であり、そのことにコンプレックスを持っていたと見られている。 やがて暴力などにより両親は別居。 妹は母がひきとり、Aは田原本町の父親の実家で暮らし始めた。 Aは母親とはそれから1度も会っていない。 Aが小学校に入学した年、離婚調停を経て、両親の離婚が成立。 実母は「Aとは会わない」という条件を呑むことになる。 その半年後に父親は再婚した。 相手も医師で、職場の総合病院の同僚だった。 やがて弟、妹も産まれ、田原本町の燃えた家で、一家5人の生活が始まった。 Aは継母とは仲が良く、弟妹たちの面倒もよく見ていた。 小学校の卒業文集、Aは「将来は医師になりたい」と書いた。 同時に父への憧れも記した。 明るく活発だった少年は、中学、高校に進むにつれておとなしくなった。 中学生の頃、「成績が下がると父親はすぐ殴ってくる」と友人に洩らした。 常日頃から父から「医者になれ」と言われていたのだが、重荷に感じるようになった。 またAはサッカーが好きで、サッカー部に入り、上手かったが父親に辞めさせられている。 父が代わりに選んだのは自分が学生時代にやっていた剣道だった。 庭でAが「面!」「胴!」の声とともに竹刀を振り、父が腕組みをしてその様子を見ているのを、近所の人が目撃している。 高校でも剣道部に所属。 腕は2段にまでなった。 1年の3学期の期末テストですべての科目で平均点を下回ったことがあった。 医学部に進学させることを決めていた父親は理系に進むための理科・数学・英語を重視しており、Aは成績表のその3教科の点数をコピー機で改竄した。 改竄は担任教師から自宅に電話が入ったことで発覚するのだが、それがバレた夜、父親は「なんでこんなに成績が悪いんや!」と怒り狂い、Aを滅茶苦茶に殴った。 中学2年の3学期には、理科のテストで「公式が思い出せないから」とカンニングをした。 それらはすぐに教員にバレた。 その日の夕方、父親は勤務先からテストの結果を聞くために電話をかけてきて、Aは正直に話し謝った。 だがその夜、書斎に呼ばれて顔や頭を殴られた。 Aは県内にある関西でも有数の私立進学校T学園に入学。 仏教系の高校で、毎年多くの東大・京大合格者を出す。 しかし中学までトップクラスだった成績は半ばに落ち着き、なかなか伸びなかった。 伸びない、と言っても、この高校で半ばほどであれば、どこの大学でも狙える位置にある。 とはいえ、成績が伸びないことについて、父は苛立ったのか、さらに厳しく勉強をさせるようになった。 A自身もこのままでは父の希望にかなう志望校には入れないと感じるようになった。 塾や英会話学校がない日、Aは夜7時半から12時頃まで自室ではなく父親の書斎で勉強をした。 目の前には父親が黙って座っていて、問題を解くのが遅かったり、間違えたりすると、父親は こぶしで殴ったり、髪の毛を引っ張ったり、殴り倒してから足蹴りするというような暴力である。 ある時にはシャープペンシルを頭に突き刺したこともあった。 Aの前歯2本は殴られたためか差し歯だが、折れた時のことは覚えていないという。 またテレビゲームをしているのが発覚して以来、Aは2階の自室ではなく、1階にある父の隣りの部屋で寝るようになった。 もちろん父は多忙であり、常にAにつくことはできない。 このため継母が学校の成績などを報告していた。 母は知人や近所の人に「長男が最近テレビゲームばかりして、勉強しないので困っている」「憧れの進学校に行けたのに、なかなか上に行けない」などとも洩らしていた。 【父親殺害計画】 6月5日、5月に行われた中間テストの英語の答案が返ってきた。 平均点より20点も下回っていたことにAはショックを受ける。 テストの点数を正直に話したら殴られるし、「今度嘘をついたら殺すぞ」とも言われていた。 こうしたなかでAは父親を殺害して家を出ようと考える。 供述を借りれば、「ゼロからやり直したかった」という想いのものである。 高校進学の前後から父親になんとなくの殺意は芽生えていたが、具体的に考えたのはこの時だった。 7日、Aは英語のテストについて「平均点より7点良かった」と父に嘘をついた。 20日には保護者会が予定されており、その時に嘘はバレる。 Aは追い詰められた。 もう父親を殺す以外にないと考えるようになった。 最初、包丁で殺害することを考えたが、武道の実力者でもある父親相手をこれだけで殺害できるとは思えず、逆に取り押さえられる恐れがあった。 次にバットやゴルフクラブで殺すという考えに変わったが、それらも同様であり、新たに買うにしてもわりと高価だった。 結局、Aが凶器に選んだのは、素振り用で錘入りの竹刀だった。 6月9日夜、Aは竹刀を1階の自分の部屋に持ち込み、父親の寝こみを襲うため、携帯電話のアラームをセットしておいた。 午前3時過ぎ、目覚めたAは隣室の父親の様子を窺った。 父親はいびきをかいて寝ていたのだが、殺すことが怖くなった。 それでもAが父親の部屋に入ろうとすると、父親は目を覚まし、「何してんねや」と尋ねてきた。 Aは適当にごまかして部屋を出て、その日の殺害は断念した。 父殺害計画が失敗に終わったAは、次に自宅放火を思いついた。 「この家にはイヤな思い出しかないし、家を燃やせばイヤな思い出も灰になる」 Aは灯油を探したが、見当たらなかったので仕方なく父親の寝室を中心にサラダ油を撒こうと考えた。 18日の日曜日に実行することにした。 18日夜、家族でサッカーワールドカップの日本対クロアチア戦をテレビ観戦。 Aはその後、就寝したが未明のアラーム音に気づかず、そのまま寝てしまったので、計画はまたしても失敗に終わった。 保護者会のある20日までに何かしらの手を打つ必要があったが、タイムリミットは迫っていた。 【「暴力、許せない」】 19日午後10時、英会話学校から帰宅したAは、継母から父親が同僚の送別会で今晩は帰らないということを聞かされた。 もう保護者会までには父親を殺すことができなくなったことを悟った。 だが父親がいなくても家に火をつけようと考えた。 20日午前4時15分、Aは目覚める。 アラームは午前2時40分にセットしていたのだが、1時間以上過ぎていることに気づいて焦った。 貯金箱から金を取り出し、連絡がとれないように携帯電話を破壊、逃走後のための身支度をした。 台所に入ってサラダ油2本があるのを確認したAは、それを撒いていき、ガスコンロでタオルに火をつけてそれを台所脇の階段に置いた。 さらに傍にあった封筒や布の袋も火の中に投げ入れた。 そして火が燃え広がるのを確認しないまま、家を出た Aは放火を計画した際、2階で寝ている3人が逃げ遅れては大変だと、脱出ルートの確認をしている。 継母たちの寝室の窓の下には倉庫の屋根があり、ここに跳び移って逃げるだろうと高を括っていた。 自宅を離れたAは近い田原本駅ではなく、近鉄線橿原線の大和八木駅まで歩いて行った。 自転車を使えば、すぐ駅に行ったことがバレてしまうからである。 午前6時半頃に駅にたどり着いたAは、よく眠っていなかったためタクシー乗り場のベンチに横になっている。 2時間ほどして同駅から京都行きの電車に乗り、しばらくその周辺をうろついたり、休んだりした。 そのなかでなんとなく北を目指そうと思ったという。 さらに地下鉄で烏丸御池駅を向かうが寝過ごしてしまい、駅員に起こされた時には国際会館駅を折り返して奈良駅に戻って来ていた。 再び烏丸御池に戻ってきた時には夕方になっていた。 その晩と21日は公園で野宿した。 滑り台で寝ているのを近所の人に目撃されていた。 22日午前0時頃、修学院駅近くの公園で寝ていたAはあまりの寒さに起きてしまう。 近くに停まっていた軽自動車に乗りこむが、それでも寒かった。 Aは寒いのと、お腹がすいたのと、楽しみにしていたW杯日本・ブラジル戦(Aの勘違いで行われたのは23日だった)を観たいので、目の前にある民家に入ろうと考えた。 午前0時頃、所持していたペーパーナイフで網戸を切り侵入、さらに電話線も切断している。 冷蔵庫の中のジュースなどを飲み、ソファに寝転がってサッカー中継を観ようとしたが、疲れのためかすぐに眠りに落ちる。 翌朝、家の人に「誰?」と声をかけられ、あわてて玄関から逃げ出した。 そのあとずっと逃げ続けていたのだが、大事になってないか気になって、侵入した家の方に戻った。 この時に警官に声をかけられ、連れて行かれた下鴨警察署で保護され、母親や弟妹が死亡したことを知らされると、涙ながらに放火したことを話し始めた。 逮捕された直後、Aは家族に対して次のような供述をしている。 Aは広汎性発達障害と診断され、幼少期からの父親の暴力により持続的抑うつ状態だったとした。 10月26日、奈良家裁・石田裕一裁判長は「殺意はあったが、程度は低い。 父親の暴力を受けた成育環境が非行に走らせた要因の一つで、広汎性発達障害の影響が強く現れている。 保護処分によって、矯正、改善の見込みがある」として、中等少年院送致とする保護処分を決定した。 収容期間について「相当長期の処遇が必要である」とする意見を付けた。 【父と子】 8月2日、奈良家裁での第2回審判で、弁護士は父親がAと事件後初めて面会した時の様子を記したメモを提出した。 7月13日、事件後、初めてAに面会してきました。 そのときの様子を報告します。 まず、会ってすぐ、Aは、直立して、「ごめんなさい」と謝ってくれました。 話の途中からは、泣きじゃくって謝ってくれました。 Aはやはり表現、言葉も顔の表情もうまく出せないようです。 事件を起こしたときも、捕まった後も、人生をほかして(捨てて)いる様な感じです。 捕まった後、何をしてももう一緒、もし外に出てもパパにしかられるし、自分は外ではもう生きられないと、自分から望みを絶ったのかもしれません。 でも、しっかり反省していました。 面会の後、鑑別所の職員が、「まだ1日見ただけですが、お父さんの前で、急に子どもらしい感情表現をしましたね」と言っていました。 Aは父である私の愛情に非常に飢えている様子です。 また、友達の友情にも心を動かされるようでした。 私はできるだけ頻回にAに会って、少しでも心を開かせたいと思います。 大まかな話の内容です。 参考までに。 父「パパが悪かった。 おまえに度々暴力をふるって悪かった。 家にいてもずっとパパに監視されていて、家にいるのがつらかったやろ」 A(だまってうなずく) 父「暴力ふるったパパを許してくれ」 A(うなずき、少し涙) 父「今、何か困っているものあるか? 何でも言いや。 服のサイズはあれで合っているか?」 A「サイズは合っているし、今は、何も欲しいものはない」 父「ママらも死んでしまった。 自分が何をしたかわかるやろ」 A「ごめんなさい」(泣きながら謝る) 父「3人とももう帰ってこない。 罪を償わなければならない。 原因をつくったパパも、罪を償う」 A「ごめんなさい」(泣きじゃくりながら謝る) 父「Aが牢屋に入っていることだけでは償いにはならないと、パパは思う。 それは法律上の償いでしかない。 3人への本当の償いは、A自身がちゃんと更生し、人生をもう一度やり直すことだと、パパは思う。 Aも自分でどうしたら3人に謝れるのか、罪を償えるのか考えて欲しい。 Aが出てきても、もうパパは勉強しろと言わない。 パパは、死ぬまでAと一緒になって、罪を背負って生きていくつもりやし、できうる限り、Aをサポートする。 けど、A自身が、自分で考え自分で道を決めていかなければならない。 ゆっくり考えなさい。 自分で考える道を歩むためには、まず、今現在どうすればよいかを考えなさい。 まず、今は一層反省して謝罪をすること。 それが償いの始まりや」 A(泣きじゃくりながら話を聞く) 父「Aは友達多かったということを、今回の事件後よく分かった。 みんなAのこと思って、嘆願書を書いたり、手紙くれたりしたよ。 〇〇君本人と、〇〇君のお母さんがパパに直接メールくれたよ。 パパより遥かに友達多い。 みんな待ってるで。 Aが更生して出てくることを。 親友の為にも頑張らないとあかん」 (A、一層、強く泣き出す) 父「もしAが20歳以上なら、3人死亡しているので、間違いなく死刑。 しかし、Aは16歳だから、少年法で裁かれる。 少年法は将来のある子どもを少しでも更生させようとする法律や。 パパは、Aがもう一度やり直せる可能性があると信じてる。 おまえはまだ若いから、まだまだやり直せる」 (A、泣きじゃくりながら聞いている) 父「Aは俺そっくりなんや。 おれの悪い癖そっくり受け継いでいるんや。 だからパパにはおまえが何を考えているかよくわかる。 でもな、他の人には全くわからへんで。 今は涙もろくなったけれど、パパは、心の内を表情に出さないのや。 学生のとき、先生に怒られたら、必ず言われた。 何笑っているんや、叱られているのに何をニタニタしているんや、とさらに先生に叱られた。 自分では何も笑っていないし、先生を馬鹿にしているわけではない。 反省しているのに、そんな表情しか出せなかった。 Aも同じや。 おまえ、パパに似て口下手やろ。 おべんちゃらなんて絶対言えない。 でもな、警察でも調書取られたやろ。 口に出して言わないと、調書に書いてもらわれないんやで。 わかるやろ。 心の中でどんなに反省してても、口に出して言わないと他の人はわかってくれないよ」 父「3人に対し、今はどう思ってるんや」 A(泣きながら)「ごめんなさい。 ほんとにひどいことしてしまったと思ってる。 僕の代わりに、毎日花供えたって」 父「わかった」 父「〇〇(亡くなった母の実家の地名)のお爺さん、お婆さん、わかっていると思うけどAとは血がつながっていない。 でも、こんな事件を起こしても、おまえのこと孫やと言うてくれているで。 夏、山登りに連れて行って欲しかったんやろ。 毎年、アユ釣りや山菜採りに行きたかったが、パパが許さなかったんや。 もっと〇〇に遊びに行きたかったんやろ。 パパが悪い、おまえの楽しみをすべて取り上げていたんや。 ごめん」 父(職員に向かって)「手紙のやりとりはできますか」 職員「できます」 A「パパにちゃんと手紙書きます」 父「パパも出すよ。 com記事より 父親は事件後、医師を辞めた。 判決後、次のような手記を公表している。 長男のしたことは決して許されることではありませんが、その原因をつくり追い詰めたのは紛れもなくわたしです。 大人の都合で幼少時より複雑な家庭環境に置き、いい大学に入って医者になることが幸せにつながるという価値観を暴力に訴えてまで押し付け、知らず知らずのうちに精神的な極限状態に追い込んでしまいました。 そのことで妻や二男、長女は命を失い、長男も罪を償うことになり、今までの人生で築き上げた何もかも失ってしまいました。 どうしてよく話し合って本当の気持ちを聴き出そうとしなかったのかと後悔ばかりです。 結局は親のエゴを押し付けただけだったと思います。 3人だけではなく長男もわたしの被害者でした。 長男には多くの嘆願書や励ましの手紙をいただきました。 わたしへの怒り、おしかりのメッセージだと心に刻み、まずわたし自身が更生するために人の生き方など一から学び直す所存です。 長男も深く反省しています。 鑑別所で面会を終えて帰るとき、握手を求め「また面会に来てほしい」と言い、審判で「一緒に生活してもいい」と言ってくれたことが、せめてもの救いです。 父子関係の本来の在り方を一生懸命学び、長男の更生に今後の人生をささげ、2人で死ぬまで罪を背負って生きていくことが、3人に対する唯一の償いだと思います。 皆さまには多大なるご迷惑をおかけし本当に申し訳ありませんでした。

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