わたし の 若草 物語。 ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

わたし の 若草 物語

特に自分が妹気質でもあるので、末っ子のエイミーには共感できるところが多くて、実は主人公のジョーよりも好きなキャラクターなんですよね。 映画でもあったけど、ジョーの原稿焼いちゃうエピソードとかさぁ…「わかる 苦笑 」って感じで大好きよ。 茶目っ気があってちょっとわがままで甘え上手な、典型的な末っ子タイプ。 どこか夢見る夢子ちゃん、みたいなキャラクターではあるんですけど、本作ではそんなエイミーを、彼女も彼女なりに「家族と自分のことを考えている」現実的な女性として描いていたのが印象的でした。 とは言え別にこのお話が特別好きってわけでもなく、そこまで思い入れがあるわけではないです 原作読んだのなんて中学生だし。 ほぼ覚えてないし…。 そんなわたしが本作をどう観たかというと… すごく、いいね! 進歩的な女性だった原作者のルイーザ・メイ・オルコットの視点を物語に加え そもそも『若草物語』がオルコットの自伝的な作品なのだけれど 、彼女の願望を叶えるような形で、長年愛されてきた古典に新たな息吹を与えています。 これ、脚色賞はノミネートだけだったんですかね?すごく面白いことやってると思うんだけど。 成長したジョーの回想という形で物語は進み、「続若草物語」と「若草物語」をいったりきたりするような感じ。 過去の回想パートは暖色、現在パートは寒色といった色調の変化で時制を表現した演出もうまいなと思いました。 あとはもう、俳優陣が素晴らしすぎた。 姉妹の空気感ていうの?女所帯の伸びやかさみたいなのがすっごい良かったよね。 捻挫したメグをかしましく世話するシーン、クリスマスの料理を持ってご近所さんの家にズラズラ並んで歩いて行くシーンなど、彼女たちが仲睦まじくしている様子を男性陣が「尊い…!」って感じで見つめるシーンがあるんだけど、わたしも終始そんな感じでしたね 笑。 姉妹が父親からの手紙を母親に読んでもらうシーンとかさぁ…尊すぎて涙が出たよ。 尊み秀吉。 以下ネタバレあり~ マトリョーシカ話法とミルフィーユ構造 突然ですが、フィクションのキャラクターを監督や作り手の代弁者として描くことを、わたしは勝手に「イタコ話法」って呼んでます。 「若草物語」も原作者のオルコットとその家族をモデルにして書かれていて、主人公のジョーはオルコット自身でもあり、典型的なイタコ話法の小説なんですね。 そこに加えてこの映画の場合、そのジョーを演じるシアーシャ・ローナンは監督のグレタ・ガーウィグの代弁者にもなっているんです 監督の自伝的処女作『レディ・バード』の主人公をシアーシャが演じたことも無縁ではないと思う。 つまり、ジョーを演じるシアーシャ・ローナンはグレタ・ガーウィグであり、そしてルイーザ・メイ・オルコットでもあるわけです。 もうマトリョーシカ話法だなこりゃ。 お話じたいも「オルコットの生涯」という大枠があり、その中に彼女の書いた「続若草物語」 大人時代 が、そしてその回想として「若草物語」 少女時代 が内在しているんです 「少女時代が終わっちゃう」というセリフには…泣いたよね。 もうマトリョーシカ飽和状態。 ラスト、ニューヨークで編集長とやり合い、『Little Women』の製本を見守るのはオルコット自身なんですよね。 でもそれを明確に明示するわけではなく、シアーシャにはジョーとオルコットをシームレスに演じさせている。 その構成になるほどなぁ、と感心しましたね。 今この原作を映像化するのにこれ以上の演出はないと思う。 それから面白いなぁと思ったのは、いろんな方も指摘してるだろうけど、頻繁に行き来する時系列。 ジョーの過去と現在を重ね合わせ、そしてそこに四姉妹それぞれの人生を織り込む。 観ながらわたしは、この構造はミルフィーユだなぁ、と思ったのね。 少々食べづらく見えるけれど、重なり合った場所を口に含むと全てが一体になって、オルコットの人生の味がする。 過去と現在、そして未来。 家族や愛する人とのか関わり合いが「わたしの人生」を作る。 女性の数だけ、それぞれの味のミルフィーユがあるんだよね。 オルコットと願望と現実 『若草物語』のジョーはベア教授という伴侶を得ることができましたが、原作者のルイーザ・メイ・オルコットは生涯独身を貫きました。 独身の女性作家というのは意外に 案の定? 他にもいて、有名どころだとジェーン・オースティン オースティン家は二人の姉妹も独身だった や『嵐が丘』のアンとエミリーのブロンテ姉妹がそうだし 二人とも30歳くらいで結核で亡くなるけど 、日本だと樋口一葉も独身ですね。 『赤毛のアン』のモンゴメリも、結婚はしましたが、37歳と当時としては晩婚になるんじゃないでしょうか。 ちなみにナイチンゲールも仕事一筋で生涯独身だったようですし、いずれにせよ、「仕事の成功」と結婚を両立させる難しさは今も昔も変わらないのかもしれません。 またオルコットに関しては、一部の研究者からは同性愛者だったのではないかとも言われているらしい。 昨年出版された「LGBTヒストリーブック」によると「女の子には恋をしたけど男の子に恋をしたことはない」という趣旨の彼女の発言が載っているそうです。 オルコット本人は自身のセクシュアリティにつて特に明言していないのだけれど、もしかしたら監督はそれを踏まえた上で本作を演出したのかもしれないなぁ、と思いました。 それを考えると…ローリーからのプロポーズを断ったときの「なぜ愛せないのかわからない」というセリフには胸が締め付けられる気持ちがしますね…。 小説でもかなり強くローリーを拒否してるんですけど、オルコット的には同性愛者というより、「自分はみんなとどこか違う」という漠然とした違和感は多分あったんじゃないかな。 あともしかしたら、ジョーと、ローラ・ダーン演じる母親が「それは愛じゃない」と何度も口にするあのやり取りを見ると、ガーウィグは「母親もそれを知っていた」と解釈したのかも 女性の生き方の選択肢が少なかった時代を描く映画として、こういった視点をあえて入れたとしても不思議ではないよね。 『若草物語』はオルコットの自伝的な小説だと言われているけれど、そこには多くの「願望」も含まれています。 三女ベスのモデルとなったエリザベスは南北戦争よりも前に亡くなっていますし、四女エイミーのモデルであるアビゲイル・メイ・オルコットはエイミーと違い、結婚は遅かったようです 彼女は出産直後に死亡し、後にオルコットはその子どもを引き取り育てます。 オルコットはきっと小説の中に、自分の少女時代のきらめく思い出をパッケージすると同時に、大切な妹たちを生き生きとよみがえらせようとしたのでしょうね。 映画である本作にも、グレタ・ガーウィグの「願望」が含まれているように思えます。 実際ジョーの結婚に関して「オルコットは違う結末を望んだと思う」との趣旨の発言をしていて、そういった思いがあのラストシーンを生んだのでしょう。 結婚以外の女性の幸せを模索し続けたオルコットと、名声も得て幸せな家庭を築いたジョー。 二つの人生を掛け合わせて作られたのが「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」だったのだと思います。 そしてそれはもちろん、現代に生きる女性たちへのエールにもなっている。 それこそ監督の「願望」だと思うんですよね。 今の時代は女性が生きる選択肢は結婚だけではありません。 結婚しようがしまいが、子どもを作ろうが作らまいが、自分らしく生きられたらそれが一番。 わたしも、自分らしい「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」を紡いでいきたいと思います。 追記: 映画見終わったあと『若草物語』読み返したんだけど、ぶっちゃけ『続若草物語』ともなるとだいぶ説教くさくて教訓めいていて、小説として面白いかといわれると「うーん?」て感じなのよねぇ 苦笑。 でも、長女メグが双子ちゃんの子育てでてんやわんやして夫のジョンと折り合いが悪くなった時に、マーチ夫人が「子育てに夫も参加させなきゃだめよ!」て言うところには、まじでぐう正論すぎた 笑。 さすが、マーチ夫人!.

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映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』がヒットの予感!?いま描く必要性を紐解く!

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ルイーザ・メイ・オルコットが1868年に出版した名作「若草物語」。 4部作からなるシリーズだが、多くの方が1作目、マーチ家4姉妹の少女時代の物語を読むにとどまっているとすればもったいない。 「若草物語」はある女性の生涯を追った物語なのだ。 本作『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』は、そんな物語に現代的な視点を組み入れている。 マーチ家の4姉妹。 左から長女メグ(エマ・ワトソン)、次女ジョー(シアーシャ・ローナン)、四女エイミー(フローレンス・ピュー)、三女ベス(エリザ・スカンレン) 本作で描かれているのは、1933年のジョージ・キューカー監督版、1949年のマーヴィン・ルロイ監督版、1994年のジリアン・アームストロング版同様、1作目から姉妹が結婚や生き方に悩みながら人生の決断をする2作目「続 若草物語」までとなる。 マサチューセッツと2つの「家」が示すもの 舞台は19世紀、米マサチューセッツ州コンコードに建つオーチャードハウス。 父が南北戦争に従軍牧師として出征したため、家を守る母と4姉妹は、貧しいながらも想像力で日々を楽しみ、他人を思いやって生きている。 女優になる夢を諦めて結婚する長女メグ(エマ・ワトソン)、小説家になろうとする次女ジョー(シアーシャ・ローナン)、優しく病弱だがピアノの才能を持つ三女ベス(エリザ・スカンレン)、画家を目指しパリに留学する要領のいい四女エイミー(フローレンス・ピュー)のマーチ家の4姉妹を、ジョーを核に描く。 1650年頃に建てられたオーチャードハウスはいまも健在。 現在は、国定歴史建造物だ。 だから、撮影で使われたのは撮影用のセット。 セットの装飾を担当するアダム・ロフマンは、美術監督のジェス・ゴンコールらとオーチャードハウスに通い、約9カ月かけてすべての装飾品を用意し、生活の空気を醸した。 そこが重要だった。 オルコット家が実際に住み、1868年に「若草物語」が書かれたオーチャードハウスは、宗教の自由、民主主義、平等などオルコット家と当時のマサチューセッツが抱えていた問題を表現するものでもあったから。 「これはルイーザ・メイ・オルコットについての映画でもあり、彼女の人生はここにあった。 その土地で撮ることが必要でした」とプロデューサーのエイミー・パスカルは語っている。 映画では、そのオーチャードハウスの向かいに、次女ジョーへの恋心を隠し、友人としてふるまうローリー(ティモシー・シャラメ)の住む資産家のローレンス邸がある。 ローレンス邸とマーチ家の間には、自立して生きることを望むジョーと、それを理解するからこそ気持ちを伝えられないローリーの恋と、ピアノを介して気遣いあう主ローレンスとベスの思いやりという心が静かに行き来している。 だが、実際はオーチャードハウスから約16キロ離れたウォルサムにあるライマンエステートで撮影された。 ライマンエステートは1882年に建てられたビクトリア様式の屋敷。 家具職人としても知られる建築家サミュエル・マッキンタイアが設計した。 ローレンス邸として撮影されたライマンエステート この屋敷のバルコニーで、恋が芽生える瞬間が描かれる。 ボウルルームで踊る人々をバックに、ジョーとふざけ合うローリーの心に。 本作一番のラブシーンで、観ている私たちも二人をいとおしく思う。 そんなローリーがジョーへの思いを抑えきれなくなるシーンが撮られたのは、マサチューセッツで一番美しい丘と言われるジベットヒル。 ナシュア川の渓谷が秋色に染まった丘陵で、ジョーは「生涯結婚するつもりはない」ときっぱり言い放つ。 「女の幸せが結婚だけなんておかしい。 そんなの絶対間違ってる!」と。 そしてそれは、「どうしようもなく孤独」なことを自覚する。 ローリーが思いを爆発させたジベットヒル 物語は、コンコード、ニューヨーク、そしてパリで展開する。 どのシーンもマサチューセッツで撮影されている。 だが、要領よくパリで絵画を学ぶ彼女もまた、受け入れがたい現実に翻弄されている。 彼女が心を寄せるローリーはジョーを愛し、自身の絵もプロになれるほどの腕前ではないという現実に。 パリのアトリエという設定で撮影されたローリーとエイミーのシーン そんなエイミーらがベスの訃報を聞く美しい庭園シーンも、マサチューセッツ州イプスウィッチにあるキャッスルヒルで撮られた。 キャッスルヒルは、マサチューセッツ湾植民地の初代総督の息子ジョン・ウィンスロップJr. が1637年に開発。 建て替えなどの歴史を経て、現在丘の上にそびえたっているのは、建築家デイヴィッド・アドラーが1926年に設計したスチュアートスタイルの邸宅だ。 これも国定歴史建造物に指定されている。 近くのクレーンビーチでは、4姉妹の海水浴シーン、そして療養するベスとジョーが海岸で語らうシーンも撮影された。 キャッスルヒルは現在、宿泊施設としても営業している。

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わたし の 若草 物語

速めのテンポにギュッと詰まった情報量、恋愛よりも家族の描写に力が入っていること、お金の問題へのフォーカス……2000年代前半のティーンエイジャーを描いた前作『レディ・バード』に見られたのと同じ個性が、この19世紀の少女たちの物語でも前面に出ているのだ。 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』 主人公のジョーは、原作者オルコットが自身を投影したキャラクターと言われている。 しかし、残された書簡や日記などからは、オルコットが編集者や読者の意見を汲んで、本意ではない「一般受けする結末」を選んだことがあきらかになっているそうだ。 「若草物語」の姉妹たちは結婚するが、オルコット自身は生涯独身だった。 1883年のインタビューでは、「私は自分が何らかの不思議な現象で女の体に男の魂を入れられた人間なんじゃないかと思っています……これまでたくさんのかわいい女の子たちに恋してきたけれど、男性にはただの一度も無いですから」と発言していたのだとか。 これだけで彼女のセクシュアリティを断定することはできないが、異性愛規範や婚姻制度、固定的な性役割への批判的な視点を持っていた作家だったことは間違いない。 今回の映画化は、こうした作品の成立過程の事情も取り込んだ脚色がなされているのがポイント。 いま新しく作る意義が考えられた映画ならではの語りを見せてくれる。 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』 性差別が根深いハリウッドでキャリアを積み重ねてきた女性プロデューサーたちの存在 自然豊かな美しい風景や、姉妹たちが身につける衣装も細部まで見応えがある。 暗闇を照らす蝋燭の光や印象的な移動撮影は、トリュフォーを引き合いに出す人が多いのも納得。 アレクサンドル・デスプラの音楽も物語を盛り上げる。 出演者では憎まれ役になりがちなエイミーをいきいきと演じたフローレンス・ピューが絶賛されているが、メグにエマ・ワトソンを配したのも、ともすれば退屈な人物と思われてしまう役がちゃんと「きれいで優しくて妹たちが慕うと同時にコンプレックスを抱いてしまいもする素敵なお姉さん」に見えてよかった。 さらにマーチ家のお向かいに引っ越してくるローリーにティモシー・シャラメ、母親にローラ・ダーン、叔母にメリル・ストリープというオールスターキャスト。 アメリカの人たちにとっては、「みんなが知ってる話を知ってる顔で」「今回はどんなふうに表現されているか」を楽しむ、日本で言うNHKの大河ドラマみたいなものなのだろう。 『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』 とはいえ、あるいはだからこそ、エンドロールにデニーズ・ディ・ノビの名前を見つけたときには思いがけず目に涙が滲んできた。 80年代末から90年代にかけてマイケル・レーマンやティム・バートンの作品を送り出し、1994年にはジリアン・アームストロング監督、ウィノナ・ライダー主演の『若草物語』を手掛けた女性プロデューサーである。 自分にとってはまだインターネットにもアクセスできなかった四半世紀以上前、映画雑誌やパンフを読んで覚えた名前だ。 2000年代には『旅するジーンズと16歳の夏』(2005年)などをヒットさせている。 本作はディ・ノビと94年版の脚本を手掛けたロビン・スウィコード、『スパイダーマン』シリーズ(2017年~)で知られるエイミー・パスカルの3人による共同プロデュースだ。 まだまだ激しい性差別が残っていることが明らかになってしまったハリウッドでキャリアを積み重ねてきた女性たちの存在が嬉しいし、自分もいまこうして元気で映画を楽しめていてよかったな、という感慨がある。 古典は繰り返し参照され、語り直されることで、もういなくなってしまった人たちといま生きている人たちをつないでいく。 今回の新しい『若草物語』、もともと思い入れのある人はガーウィグの手さばきに刺激を受けるだろうし、これまでオルコットの四姉妹たちを知る機会がなかった人にとっても、大衆文化の大定番作品へのよい入口となるに違いない。 掲載情報の著作権は情報提供元に帰属します。 Copyright C 2016 JIJI PRESS LTD, All Rights Reserved. All rights reserved. ,Ltd. 2016 All Rights Reserved. All rights reserved. All rights reserved. All Rights Reserved. 番組内容、放送時間などが実際の放送内容と異なる場合がございます。 番組データ提供元:IPG Inc. ロヴィ、Rovi、Gガイド、G-GUIDE、およびGガイドロゴは米国RoviCorporationおよび/またはその関連会社の日本国内における商標または登録商標です。 このホームページに掲載している記事・写真等あらゆる素材の無断複写・転載を禁じます。

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